悟りプレイ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ネットゲーム依存症からゆるやかに抜け出す方法

次の暇つぶしをネットゲーム以外から選ぶ

ネットゲームはその性質上、サービスが終了するとプレイできなくなり、強制的に引退に追い込まれる。また現在プレイ中のタイトルに飽きても引退。だから「現在プレイ中のタイトル」に依存している期間はそんなに長くない。長くて十数年。そこまで長引くことはまれで、ほとんどは数年じゃないかな。

ネットゲームA依存症は数年で抜け出せるけど、次の暇つぶしをまたネットゲームから選ぶとマズい。ネットゲームAを5年、その後ネットゲームBを5年続けたら、それぞれのタイトルは5年しか続けていないのに「ネットゲーム」は10年続けているわけで、5年ならまだしも10年も続けていたら致命傷になってしまう。これがネットゲーム依存症の危険なところ。

10年
ネットゲームA  
  ネットゲームB

だから5年でネットゲームAを引退した時点で次の暇つぶしを「ネットゲーム以外」から選び「ネットゲーム」から抜け出す。これなら被害は5年で済む。

いやぁほら、今すぐ「もうネットゲームはいいや」で辞められればいいんだけどさ。もったいなくて辞められないよね。今まで積み重ねてきた色々が無価値になるわけだし。だから現在プレイ中のタイトルは引退まで続ける。で、それで「ネットゲーム」から抜け出す。

ネットゲームは掛け持ち禁止

同じ理屈でネットゲームの掛け持ちもダメ。掛け持ちするとネットゲームAを引退しても「ネットゲームBで暇を潰せばいいや」となり、他の選択肢が全く浮上しない。しかもネットゲームBを続けている間にネットゲームCまで始めちゃって、ネットゲーム依存症が長引いてしまう。

ネットゲームA      
    ネットゲームB  
        ネットゲームC

だからネットゲームをやるなら掛け持ちせず、1つのタイトルだけを引退するまでやって、ネットゲームはそれで終わり。

他の暇つぶしが引退のきっかけになるかも

「このネットゲームを引退したら、次は何をしよう?」と考えると、まぁ何らかの候補が出てくると思う。

ネットゲームプレイ中の現在からでも、そっちに手を出すことは可能だ。やろうと思えばネットゲーム2つを掛け持ちできるんだから、ネットゲーム1つと他の暇つぶしの掛け持ちも可能だよ。

そして他の暇つぶしの方が楽しいとわかれば「じゃあもうネットゲームはいいや」となり、引退時期が早まる可能性がある。ネットゲームは暇を潰したり楽しんだりするためのもので、それができるなら別にネットゲームでなくてもいいんだよね。ネットゲームより性能のいい暇つぶしが見つかったら、ネットゲームはお役御免だよ。

思い出の写真なんて撮らなくていいでしょ

思い出の写真ってつまり…

「思い出の写真」ということは、未来の自分がその写真を見て思い出に浸り感動するための準備だよね。10年後か20年後かわからないけど「あーそうそうこうだったよね」って。

つまり未来の自分は「「思い出に浸る」くらいしか感動できることがない」ということ。感動するだけなら「ご飯がおいしい」や「ゲームが楽しい」でもいい。それを「思い出に浸る」という手段に頼るだろうと予測して、今から思い出の写真を撮りためているんだから。老後の不安に備えて若いうちから貯金して備えるのと同じ。

何というか…あなたの予測する未来暗すぎない? 何の根拠もないけど、未来のあなたは、何か趣味でも見つけて気楽に楽しんでいるんじゃない? それでよくない?

将来感動できるか不安なら、今からご飯をじっくり味わって「あぁ…しみじみと美味いなぁこのご飯」と感じられるようになるとか、そういうふうに日常の中で幸せを感じられるように練習して、感動の収入源を増やしておいた方がいいと思うよ。日々のご飯で感動できるんだから、感動に飢えることはないだろうさ。

未来のあなたも美味しいご飯を食べているだろうし、素敵な光景を見ているだろうし、かわいい動物も絶滅してはいないと思う。じゃあ思い出の写真の出番なんてないじゃない。あなたの未来は思い出の写真の出番があるような、暗い未来じゃないんだよ。

買取価格なんか気にしているから貧乏なんだよ

買取価格は生活に影響しない

これまでの人生で漫画やゲームをどれだけ買い取ってもらって、それでいくらになったかを適当に思い出してみてほしい。数百万円になる人は稀だと思う。漫画1冊数百円、ゲーム1本数千円がいいところだから、どれだけ集めても高が知れている。

ではあなたの年収はいくらだろう。買取収入は年収1年分にも満たないんじゃないかな。給料数ヶ月分。

仮にその給料数ヶ月分の買取収入が傷や汚れのせいで半額になったとして、いくら減るだろう。精々数十万円の損だよね。これまでの数十年分の「漫画やゲームを傷や汚れがつかないように丁寧に扱い買取価格を気にする作業」が数十万円しか生み出せなかったわけ。

数十年の中での数十万円って誤差だよね。生活にはほとんど影響しない。そりゃ売るなら高く売れる方がいい。けど元々の買取価格が大した額じゃないから、買取価格を気にする作業はとても安い作業になる。それならもう「そんな安い作業やってられるか!」と放り投げていいんじゃないかな。

買取収入以外の安定した収入源があるでしょ

買取価格を気にしなければならないのは、買取価格が生活に影響する人だ。古本の転売で生計を立てているなら、そりゃ買取価格を気にしなきゃいけないかもしれない。けどあなたにはそれなりに安定した他の収入源があって、それだけでそれなりに生活できているでしょ。

だから買取収入がたとえ0でも生活は困らない。何なら全部ゴミとして捨ててもいいわけ。あなたが買取サービスから得ていたのは「生活のための大切な収入」ではなく「不要品をお金に変換する喜び」。だから金額は気にしなくていい。

買取価格を気にしなくなるとこうなる

雑に扱えるようになる

今まで宝石か何かを扱うかのように丁寧に扱っていた漫画やゲームを、雑に扱うようになる。傷や汚れが増え、丁寧に扱う手間・ストレスは減る。買取価格は落ちる。

「雑に扱える」は「丁寧に扱わなければならない」という思い込みから解放されたということ。人間は猿から毛が抜けた程度の生き物で、全てを丁寧に扱おうとしてもすぐに限界に達しちゃう。だから雑に扱っていいものはどんどん雑に扱うべきなんだよ。

買取価格をチェックする必要がなくなる

買取価格情報が不要になる。気が向いたときにいらないものをまとめて店に買取依頼するだけだし。今100円か200円かなんてどうでもいい。

急ぐ必要がなくなる

買取価格は徐々に落ちていくものだから、急いで消費してさっさと売った方がいい。ハズレなら尚更だ。

けど買取価格がどうでもよくなれば、急いで消費する必要がなくなる。

まとめ

買取や転売で生活しているわけじゃないなら、買取価格が生活に与える影響なんて誤差程度。だから日常生活で買取価格を気にするのは割に合わない。

安い仕事を抱えて余裕を失っていたら新しく稼ぐことなんて考えられなくなる。雑に扱うことに慣れれば生活に余裕が生まれて、新しく稼ぐことも考えられるようになってくる。

だからまずは何でもかんでも丁寧に扱うのをやめようよ。

漫画や小説を読みすぎるとコミュ障になる仕組み

漫画や小説が会話のハードルを上げる

漫画や小説は基本的に一人の作者が作っている。登場人物も全て一人の作者が生み出している。作者の脳を複数人の登場人物で共有しているから、登場人物同士の会話において失敗は発生しない。

登場人物Aの伝えたい情報は、全て誤解なく登場人物Bに伝わる。たとえ断片的な情報であっても100%全部伝わってしまう。しかし現実の会話は違う。AとBはそれぞれ別の脳を使って会話しているため誤解が頻発する。

コミュ障の人はこの違いに悩んでしまうわけだ。漫画や小説ではものすごくスムーズに会話できているのに、なぜ自分はできないのか、と。

しかもコミュ障でどんどん人との会話を避けて物語の世界にのめり込んでいくから、現実でもあのものすごくスムーズな会話が行われているものと思い込んでしまう。そしてそれができない私はコミュ障なのだ、と塞ぎ込む。

実は会話は失敗だらけ

漫画や小説から一度目を離して、適当な喫茶店にでも行ってみよう。そして適当な団体客の近くの席で、本を読むふりでもしながら会話を聞いてみよう。彼らの会話が割と失敗していることがわかると思う。

モンスターや魔法使いと同じで、あのものすごくスムーズな会話も現実ではない。喫茶店で聞いた失敗だらけの会話が現実なんだよ。私たちが呪文を唱えてモンスターを召喚したりできないのと同じで、あんな高度な会話もできないんだよ。

そうとわかれば会話の失敗が自分だけのせいでないともわかる。喫茶店で聞いた普通の人たちの会話で失敗していたということは、あなたの会話相手も失敗しまくっていると考えられるから。半分くらい相手が悪いんだよ。

だから会話の失敗なんて気にして落ち込んでも仕方ない。それはあなたの障害のせいではなくて、会話自体がそういうものなんだよ。

潔癖が風呂嫌いを作る仕組み

潔癖が風呂嫌いを作る

まず潔癖から始まる。潔癖だから、風呂に入ったら体の隅々まできれいにしないと気が済まない。シャンプーや石けんその他色々で徹底的に体を洗浄していたんじゃないかな。

けど体の隅々まで徹底的に洗浄するには大変な手間がかかる。いずれ「汚れている気持ち悪さ」を「洗浄の面倒くささ」が上回り「もういいよ風呂なんて面倒くさい」となる。何事にも限度があって、それを超えると「もういいよ」になる。「私潔癖だからどこまでも徹底的に洗浄します!」ではない。

「なんで風呂が嫌いなの?」「面倒だから」というわけだ。これが潔癖の人が風呂嫌いになる仕組み。

風呂嫌いの治し方

「風呂 = 面倒くさいもの」という価値観を見直せば風呂嫌いは治る。面倒くさいものに人は耐えられない。我慢して風呂に入ったってまたすぐに嫌になるだけ。

風呂の何が面倒って、徹底的な洗浄が面倒だ。これのせいで風呂は30分1時間の作業になっていた。だから徹底的な洗浄をやめて「湯船でぼけーっと温まった後にシャワーで軽く流すだけ」に切り替える。シャンプーや石けんは使わない。

そりゃシャワーで軽く流すだけではシャンプーや石けんを使う場合より汚れが残るだろうけど、致命的なものじゃない。そもそもあなた風呂嫌いになってから隙あらば風呂をサボってたでしょ。だから多少の汚れが命に関わらないことはわかっているはず。

シャンプーや石けんを使うのは気が向いたときだけ。それ以外は湯船で「はぁ…あったけぇ…」ってなって、あとはシャワーで流して「あー気持ちよかった」で終わり。そうだよ風呂って気持ちよくなればそれでいいんだよ。洗浄なんておまけだよ。

入れば気持ちよくなれるだけの風呂なら、嫌いでいるのは難しいと思う。おめでとう。風呂嫌いはこれで治ったし、潔癖も風呂嫌いの頃に消えてなくなっていたはず。二つの問題が片付いたよ。

色々な「徹底的な洗浄」をやめる

洗顔、鼻をかむ、歯磨き、…、体から汚れを取り除く作業は色々あるけど、潔癖の人はどれも「徹底的な洗浄」にしてしまう。忙しい朝に5分10分かけて顔を洗っていたら、朝食の時間を確保できなくなる。

いいんだよ少しくらい汚れが残っていても。何でもそうだけどかけた手間と得られる成果は比例しない。どんどん成果が小さくなっていく。最初の方の洗浄でほとんど取り除けているから。そりゃ残り少ない汚れのために色々手を尽くしても幸せには繋がらない。

風呂に限らず生活の中で無意識のうちに「徹底的な洗浄」をやっていないか意識してみて、もしやっていたら湯船+シャワーみたいに手抜きをしてみるといいんじゃないかな。

あなたのそれって平等病じゃない?

平等病とは

家族5人分の味噌汁に豆腐が30個入っている。一人あたりの個数はいくつ?

30 ÷ 5 = 6個。けどこれを徹底しようとするのは病気だと思う。

「6個ずつなら平等だ」とは言っても、現代日本の特に食事に困っていない一般家庭において、豆腐の数が平等でないからといって怒る人なんているかな。数えながら食べる人さえほとんどいないんじゃないかな。

世の中には「平等でなくてもそんなに問題にならないこと」もある。そういう事柄まで平等を徹底しようとしちゃうのが「平等病」。誰も気にしていないことを自分だけ気にして神経をすり減らすなんて、そりゃ気が参っちゃうよ。

平等は満足には繋がらない

人間には個体差がある。豆腐5個で満足する人も豆腐7個がいいって人もいる。わざと不平等に盛りつけておけば、少ない方がいい人も多い方がいい人も、自分に合っている方を受け取って満足するんじゃないかな。もし6個ずつ平等に盛りつけていたら、多すぎると感じる人と少なすぎると感じる人が満足できなかった。

全員「6個がいい人」なら、6個ずつ盛りつけることで全員が満足する。けどそれは「平等だから」ではなく「6個だから」。「平等だから嬉しい!」ではない。「平等」は「文句が出た際にねじ伏せるための強力な力」であり「個体差のある全員を満足させられる便利な道具」ではない。

まとめ

平等が必要な場面もあるけど、世の中の全てがそうではない。味噌汁の豆腐とかさぁ。そんなのまで平等を徹底していたら疲れるし、味噌汁も冷めて不味くなっちゃうよ…。

自分が病的に平等にこだわっていないか、分ける作業の際にちょっと気にしてみるといい。「平等」は一見正しいから、いつの間にか忍び込んでいるかもしれないよ。

男性の家事恐怖症、女性の仕事恐怖症が治ったので少子化問題が発生しました。

男性の家事恐怖症、女性の仕事恐怖症

「男は仕事、女は家事」だった時代、男性は家事恐怖症、女性は仕事恐怖症を患っていた。お互いに相手の作業に手を出さなかったから、自分にはできない、相手にしかできない作業だと思っていた。

男性にとって女性の家事は一種の魔法だった。時給に換算して数十数百円にしかならない作業を黙々と処理でき、ご近所付き合いを無難にこなし、それに加えて育児まで同時進行。俺だったら早々に発狂しそうだわ。

一方で女性からしても、男性の仕事もまた魔法だった。自分は家事やご近所付き合い、育児しかできないから、一家を支えるほどの収入を生み出す男性の仕事は、自分には不可能な高度な作業だった。

こんな感じで男性は家事恐怖症、女性は仕事恐怖症だったわけ。

恐怖症と結婚、そして出産

そうやって男性が家事を、女性が仕事を「自分にはできない作業」と思い込んでいた時代は、結婚は生きていく上で必要だった。家事も仕事も生活上必要だけど、自分にできるのは一方だけだから。だから必死になって結婚した。

そして結婚すれば子供が生まれる。結婚は必要なもので、結婚すれば子供が生まれるんだから、人口は自然と増えていくよね。

家事恐怖症と仕事恐怖症が治ってしまった

ところが便利な道具がどんどん発明されて仕事も家事も難易度が下がってしまった。男性でも家事を、女性でも仕事をできるようになってしまった。

元々そんなに難易度は高くなかったんだけど「自分にはできない作業」と思い込んでいたんだよね。それが試しにやってみたらできてしまった。なんだ簡単じゃないか。

そりゃもちろん熟練の専業社員や専業主婦ほどのすごい成果は出せないけど、それが必要なのは家庭を支える必要があったから。自分一人で食べる分には男性の大雑把な味付けでいいし、自分一人で生活する分には女性の少ない収入でも回せてしまう。

こうして結婚が「必要なもの」から「趣味」になってしまった。「できたら嬉しいけど、できなくてもいいかな」くらいの扱い。

そして結婚とがっちり結びついていた出産も、同時に趣味になって「じゃあやらなくていいや」となってしまった。だってそうでしょ。子供産んで育ててもさ、生活が劇的に改善するわけじゃないし。

どうしたら少子化問題を解消できるか

そんなの専門家や政治家の皆様が日夜悩み抜いても思いつかないんだから、私なんかがまともな解決策を思いつくわけがないんだよなぁ。結婚と出産が結びついている限り、文明が発展すれば結婚しなくなると同時に出産もしなくなっていくんだし。

人権とかそういうのを無視するなら「育児は全部国でやるので、とりあえずバンバン産んでください!」「子供は親ではなく国が育てるものだ」と子供の頃から教育して、出産直後の子供を全部国が引き取って成人まで育てるとか? そうすれば育児を考えずに性欲に任せて産めるから、人口は増えると思うよ。

育児を各家庭に任せる現行の制度だと、各家庭が個別に育児の知識やシステムを構築しなきゃいけなくて面倒なんだよね。そりゃ産みたくても産めないし、産みたくなくなるよ。だからそれを国営育児施設とその職員にまとめることで各家庭の負担を減らす戦略。

このシステムなら産んだ子供を夫婦で協力して育てていく必要がないから、結婚と出産が結びつかず、結婚システムが廃れても問題ない。性欲は人間である以上なくならないから、性欲に支えられたこのシステムはそうそう廃れない…かな。

まとめ

  • 男性は家事を、女性は仕事を知らなかったため、恐れていた
  • でもやってみたら案外簡単だった
  • 「じゃあ結婚しなくていいや」となり同時に少子化問題が発生した
  • 育児を全部国でやれば少子化問題を解消できるんじゃない?(適当)

何一つとして具体的なデータや制度は知らないけど、少子化問題ってこんな感じに発生したんじゃない?って。

最後のアレはどこの企業でもやっている「作業は一カ所にまとめると効率が上がる」というだけの話。既存の色々な価値観をかなぐり捨てちゃってるけど、既存の価値観で少子化を食い止められていないわけで、じゃあ既存の価値観なんかに頼っていてもダメなんじゃないかなって。