悟りプレイ

悟りプレイ

捨てる、辞める、省くブログ

みんな睡眠時間の計算を間違えている

「布団に入ってから、目が覚めるまで」ではない

23時に布団に入って、7時に起きる。この人は8時間寝ている…わけではない。だってそうでしょ。布団に入っただけだし。

こんなの屁理屈の言葉遊びではあるんだけど、これまで「布団に入った時間」で計算しちゃっていた人、いると思う。布団に入った途端に意識が飛ぶならいいんだけど、多分そんなことはないよね。

そうすると今回の例の人は「8時間寝たくて、7時に起きなければならない」なら、23時に布団に入るのでは遅い。22時55分とか、22時30分とか。「布団に入ってから意識が飛ぶまでの時間」を考慮した時間に布団に入る必要がある。

「意識が飛んでから、目が覚めるまで」の利点

「寝付けない日も大丈夫」という安心感

「最悪30分あれば寝られるだろう」と22時30分に布団に入って、疲れのせいですぐに意識が飛ぶと、8時間30分寝てしまう。これでは活動時間が30分減ってしまうから損と言えば損だ。

けど悩み事を抱えていて30分寝られなくても、それでもまだ8時間寝られる。多少寝付けなくても8時間の睡眠時間を確保できる。「布団に入ってから意識が飛ぶまでの時間」を考慮した計算法であれば、そういう安心感が得られる。

いいんだよ少しくらい長く寝ても。睡眠時間は、不足するよりは少しくらい長い方がいい。「あぁ8時間寝られなかった」と落ち込む事故に備えて、30分くらい長く寝ちゃえばいいんだよ。

「毎日しっかり寝ている」という自信

「8時間寝たいけど7時間しか寝ていない」だと、睡眠時間不足のダメージの他に「悪いことをしている意識」みたいなものでもダメージを受けて、それで気が参ってしまう。

22時30分に布団に入るようにすれば「俺はしっかり寝てるぜ? これで何かの病気になったらそりゃもう俺の責任じゃねぇよ」と堂々としていられる。「こんな生活じゃそのうち体壊すだろうなぁ…」なんて考えながら背中を丸めているよりずっといいでしょ。

活動時間は多少減るけど、こういう心理的なプラス効果で十分返せると思うよ。「布団に入ってから意識が飛ぶまでの時間」を考慮して、布団に入る時間を見直してみようよ。

睡眠時間を減らして活動時間を増やすべき…ではない

「活動時間を増やすべき」ではない

1日は24時間。これはどうしようもない。その中で活動時間を増やすには、睡眠時間を減らすしかない。8時間も寝ていたら1日16時間しか活動できないが、睡眠時間を6時間に減らせば18時間活動できるようになる。

…って具合に「睡眠時間を減らそう」という話が始まることがある。確かに言っていることは正しい。1日は24時間だし、睡眠時間が増えれば活動時間は減る。活動時間を増やすには睡眠時間を減らせばいい。

けどそもそも前提の「活動時間を増やすべきか」ってところはどうなんだろう。本当に活動時間を増やしてしまっていいのかどうか。私は増やさない方がいいと思う。

活動時間を増やすべきではない理由

1日が重くなってしまう

活動時間が増えるということは1日が重くなるということ。100m走と1km走では「やるぞ」というときの覚悟が違うし、おやつと夕食でもやっぱり「食べるぞ」という覚悟は全然違う。それと同じで、16時間と18時間でも朝起きたときに必要な覚悟が違う。

16時間なら走りきれる気がしても、18時間はちょっとキツい。「活動時間を増やすべき」なのは18時間を余裕で走りきれる人だけで、16時間でも息切れしている人は活動時間を増やしちゃいけない。

睡眠時間の価値が上がってしまう

睡眠時間1時間で回復しなくてはならない体力の量は

(24 - 睡眠時間) / 睡眠時間

で計算できる。(24 - 睡眠時間)で活動時間を計算して、その活動時間を睡眠時間で割るだけの単純計算。

(24 - 8) / 8 = 2
(24 - 6) / 6 = 3
(24 - 4) / 4 = 5
(24 - 2) / 2 = 11

8時間睡眠なら睡眠時間1時間で2時間分の体力を回復すれば間に合うわけだ。一方で4時間睡眠では1時間で5時間分の体力回復が必要。1時間で3時間分、5時間分体力回復できるならいいんだけど、体力回復の才能・技術がない人は睡眠時間の価値を低くしておかないと間に合わなくなる。

ちょっと眠れないだけで致命傷になる

睡眠時間の価値が高いということは、眠れなかった場合の被害が大きいということ。1時間眠れないと、8時間睡眠の人は2時間、4時間睡眠の人は5時間体力が尽きた状態で活動することになる。

上で計算したように、睡眠時間を2時間ずつ減らしていくと、睡眠時間の価値は2→3→5→11とすごい勢いで上がっていく。同じ「1時間眠れなかった」だけでも短時間睡眠の人は致命傷になるから、何が何でもしっかりその睡眠時間を確保する必要がある。

一方で長時間睡眠なら1時間眠れなくても被害は小さい。だから覚悟を決めて寝る必要も、眠れなかったと落ち込む必要もない。

あなたは短時間睡眠の才能・技術を持っていますか

「短時間睡眠で大丈夫な人もいるって言うし~」などと言って睡眠時間を減らそうとする人がいる。短時間睡眠で活躍した偉人や有名人とか、そういう成功例を挙げてさ。

100mを10秒弱で走れる人やものすごい絵を描ける人もいる。けどだからと言って私やあなたが100mを10秒弱で走れたり、ものすごい絵を描けたりするかというと、そんなことはない。その人はその人で、私やあなたとは別人だから。

100mを10秒弱で走れるかどうか。それは走ってみればすぐにわかる。けど「短時間睡眠の才能・技術があるか」はわかりづらく、数日短時間睡眠をやってみた程度ではわからない。数ヶ月後数年後に無理が祟って倒れて、それでやっと「あぁ才能・技術なんて持ってなかったんだな」とわかるかどうか。

一度休日に何の予定も入れずに、とにかく思い切り寝てみたらいいと思うよ。それで起きたときに「あーよく寝た」となったら、それは多分普段の睡眠時間が足りていないって事だよ。それなら睡眠時間は減らすんじゃなくて増やさなきゃ。

頑張りたい欲求との付き合い方

頑張りたい欲求とは

人間には「頑張りたい欲求」がある。食欲睡眠欲性欲と同じアレ。これは言葉通り何かに熱心に取り組みたいという欲求で、満たされると幸せを感じられる一方で、満たされないと不安が募って気が病む。何もしないでいると「俺このままでいいのか…?」と余計なことを考えちゃったりするでしょ。

なぜ「頑張りたい欲求」なんてものがあるのか

栄養を得るための食欲、回復するための睡眠欲、子孫を残すための性欲と同じように、状況を改善して生きやすくするために頑張りたい欲求がある。

基本的に状況は頑張らないとどんどん悪化していく。たとえば食べ物は食べ続けたらなくなり、新しく獲得しなきゃいけなくなる。だから頑張って新しい食べ物を獲得しなきゃ、という欲が必要だったんじゃないかな。

「努力の方向音痴」な人が割とたくさんいる

不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という経済産業省の資料が最近話題になっていて、その中で

かつて 、人には目指すべきモデルがあり、自然と人生設計ができていた。
今は、何をやったら「合格」「100点」か分からない中で、人生100年、自分の生き方を自分で決断しなければならない。

(6ページ目)

こういった部分がある。「目指すべきモデル」があったから頑張れていた「自分で目標を立てられない人」が「目指すべきモデル」がなくなったことで困っている、と。こういう資料に登場するということは、割とたくさんいるってことなんだろう。

「自分で食事ができない人」みたいに「自分で目標を立てられない人」もいるわけだ。「食事を手助けしてくれる人」がいないと「自分で食事ができない人」が餓死してしまうのと同様に、「自分で目標を立てられない人」も「目指すべきモデルを与えてくれる社会」がないと頑張りたい欲求を満たせずに気が病んでしまう。

頑張りたい欲求を発散する方法

社会が「幸せは人それぞれだよね。自分で目標を立てて頑張ってね」と目標を与えてくれなくなった以上、目標を与えてくれる人を探し出すか、自分で目標を立てるしかない。

そこで活躍するのがゲームだ。特に長時間プレイできる奥の深いゲームが適している。ゲームに熱中すればいいんだよ。

ゲームに熱中したところで状況は改善しないんだけど、気が病むよりはマシだと考える。食欲は本来栄養を得るための欲求だけど、まともな栄養のない菓子でも誤魔化せる。それと同様に状況を改善するための「頑張りたい欲求」も、状況を改善しない頑張りでも誤魔化せる。この仕組みを使って、他に頑張れるものが見つかるまでの一時しのぎとしてゲームを利用する。

「努力は状況を改善できる、実益のあるものに対して行わなければならない」という制限を掛けてしまうと、頑張れる対象が見つかりにくくなり、頑張りたい欲求を発散できなくなってしまう。そりゃ毎回栄養満点の食事で食欲を発散できればいいけど、そうもいかない。ときには誤魔化しも必要になってくる。

ゲームは無難な落としどころ

欲求は発散しないといずれ爆発する。飢え死にしそうな状況では、虫でも草でも割と何でも口に入れられる。普段ならまず食べないのに、食べちゃう。

これは爆発した時点で目に付いたもので欲求を無理矢理発散しようとしてしまうから。同様に頑張りたい欲が爆発したときにも、運悪く変なものが目の前にあるとその変なものを頑張ってしまう。それが犯罪だったりすると色々終わっちゃう。

ゲームならゲーム屋で、それどころか昨今ではインターネットで家にいながら簡単に入手できる上に、どんどん課題を与えてくれて頑張れる設計になっている。だから普段から頑張りたい欲求の発散に使えるし、もし爆発しても対象がゲームなら事件にならない。そういう意味で、頑張りたい欲求を発散する道具として、ゲームは無難な落としどころだと思う。

人間は元々頑張りたい生き物で、頑張れるものがないと気が病んでしまう。だからそういう場合に備えて「頑張りたい欲求をゲームか何かで誤魔化す」という選択肢を持っておくと、変に不安になったり道を踏み外して事件を起こしたりするのを防げるんじゃないかな。

理想と現実との付き合い方

理想は目指すもの、現実は向き合うもの

「飯屋に行ったところ、売り切れのため食べたいものが食べられなかった」

理想は「食べたいものを食べる」で現実は「食べたいものを食べられない」。理想が叶わなかった。こういうときに「アレ食べたかったんだけどなぁ…」と反応するのは、損にしかならないからやめた方がいい。

店員に「アレ食べたかったんだけどなぁ…」と言っても、売り切れだからどうしようもない。店員だって売れるものがあるなら売って儲けたいわ。

このときのやるべきは「他の飯屋に行く」「他のメニューから選ぶ」などの「次の行動に移ること」。理想が叶わないと判明した時点で、現実と向き合って次の行動に移ることが、幸せを感じる有効な手段。

その飯屋でアレを食べることは叶わないから、さっさと思考を「じゃあどうするか」に切り替える。その飯屋で駄々をこねてもアレは食べられないけど、他の店に行けば食べられるかもしれない。それにアレを食べるのは「腹を満たすため」や「美味しい思いをするため」の手段でしかないから、それなら「じゃあ他でもいいや」とも考えられる。

「飯屋に行く」という行動を取るまでは、まだ食べられる可能性があり、食べられれば幸せを感じられる。だから「アレを食べたい」と理想を掲げるのは悪いことじゃない。けど理想が叶わないと判明してからも「アレ食べたかったんだけどなぁ…」と理想にしがみついているのは悪手でしかない。

理想は行動を起こすために掲げる必要があるけど、叶うとは限らない。そして叶わないと判明したら、さっさと諦めて現実と向き合う。これが理想と現実との上手い付き合い方なんじゃないかな。

ミスをやらかしても、そんなに落ち込まなくてもいい

理想と現実は違う

ミスをやらかすと、ミスによってモノが壊れたり怪我をしたり評価が下がったりと様々な損害が発生する。それでミスをやらかさなければ被らずに済んだ損害なのに…と落ち込んでしまう。

けどさ、たとえば「1日で成果を10出せたから、10日やれば成果を100出せるよね」は計算上は正しい。けど現実でそうなることは滅多にない。故障や急用、その他様々なトラブルがあり得るから、毎日10の成果を出し続けられるとは限らない。

これはミスについても同じで、「ミスがなかった場合のモノの個数」「ミスがなかった場合の体の状態」「ミスがなかった場合の評価」はものすごい幸運に恵まれた場合の理想でしかなくて、現実的じゃない。何のトラブルもなく毎日10ずつ10日で100の成果を出すような理想でしかないんだよ。無理無理。

だから「ミスによる損害」なんて、理想が崩れて現実になっただけのことで、そこまで落ち込むようなことじゃないと思うよ。それが普通なんだから。理想を当然のものと勘違いしてしまうと辛くなるよ。

病気も怪我も、まぁそういうこともあるよね

事故で片足を失ったり病気で耳が聞こえなくなるなど、体が元に戻らない壊れ方をすることがある。生まれつき壊れていることもある。

それぞれの確率はそんなに高くないだろうけど、色々な壊れ方があるから、一生を通して五体満足ピンピンしたまま老衰で死ねる人の方がむしろ珍しい。「五体満足ピンピンしたまま老衰で死ぬ」は理想ってワケ。現実では、大体いずれかのタイミングで元に戻らない壊れ方をする。

だからもし自分がそういう壊れ方をしちゃっても、やっぱりそんなに落ち込まなくていいんじゃないかな。片足を失っても耳が聞こえなくなっても、それなりに生きていけるし、よく見てみると周りのみんなも何かしら元に戻らない壊れ方をしているよ。

ミスも事故も病気も怪我も、まぁ色々あるよ人間の人生だもん。やらかしちゃってもあまり重く受け止めなくてもさ、「まぁそういうこともあるよね」で軽く流していいと思うよ。

買い物の失敗を減らすために、買い物の経験を積む

上手くなりたければ、練習すればいい

趣味も家事も仕事も、全部繰り返すことで上達していく。買い物も同じで、回数を重ねることで上達して失敗が減る。

料理で「焼きすぎる」失敗をしたら「では焼く時間を短くすればいいのか」「火を弱くしたらどうか」と色々考えて、次回焼く時間を短くしてみて、いい具合に焼けて「あぁこれでいいんだな」となる。もう焼きすぎる失敗はやらかさない。

これと同じ事を買い物でやる。「着もしない服を買ってしまった」失敗をして「なぜ買ってしまったのか」「そもそもあのときなぜ服屋に入ったのか」と考える。これでもう「着もしない服を買う失敗」はやらかさない。

まずは気軽に買って、気軽に捨てる

最初は失敗するのが当然だから、失敗があり得るものとして買い物と付き合った方がいい。いくら頑張っても失敗するのが上達前の時期だから。

この時期は「失敗しても気軽に捨てられるもの」で買い物の経験を積む。料理でも高級食材は上達してから扱うもので、最初はスーパーの安物で経験を積む。それと同じ。

この時期に大切なのは「気軽に捨てる」ということ。失敗を悟った時点でさっさと捨てて、経験を活かして次を買う。

失敗したものなんて抱えていても仕方ないし、いつまでも抱えていたら家が狭くなって次の買い物に手を出せない。それに使いづらい道具とか気に入らない服とか、そんなの使い続けても気が滅入るしね。失敗したら家のどこかに押し込むのではなく、ゴミ箱に放り込む。これが買い物上手の第一歩。

収入・貯蓄は買い物の経験を積むためにある

あなたがよほど自制心がなくて借金まみれというのでなければ、そこそこの収入があって、口座にもそこそこの蓄えがあると思う。それなら多少買い物で失敗しても致命傷にはならない。

「買い物で失敗したらその分お金を無駄にしてしまうから、絶対失敗したくない」ってそりゃそうだけど、今のあなたは残念ながら買い物の能力が低い。だから失敗は避けられない。どうしてもそこそこの確率で失敗しちゃう。

幸いあなたの収入・貯蓄はそれなりにあるから、それを使って勉強しようって話。あなたに元から高い買い物能力があれば不要な出費だけど、ないからお金を払って鍛えましょうって。

どうせ死ぬ頃には子供に相続させようかなーってなるくらい余るよね。子供もあなたと同じように余らせると思う。みんなギリギリしか持っていないわけじゃないんだよ。だから少しくらいあなたの「買い物の失敗が少ない人生」のために使ってもいいと思うよ。

フリー素材が客離れを起こす仕組み

フリー素材が苦手な人は本当に苦手

フリー素材は緩い利用条件を満たすだけで、技術や道具がなくても手軽に利用できてしまう。そのため利用者がとても多い。あるブログと別のブログ、更にあっちのニュースサイト、果ては町内のポスターにまで同じ画風のイラストが使用されているのに気づいたことはないかな。そのくらい広く浸透している。

そうすると、「それが嫌いな人」にとっては災難だ。どこに行っても嫌いなものが目に入る。よく読んでいるブログの記事で、気になって開いたニュース記事で、会社の掲示板で、あの画風のイラストが目に入る。「嫌なら見るな」も通じない。

このため最初は「あーあれちょっとイヤなんだよね~」でも近いうちに「どこにでも湧いてホント無理…」という深刻な苦手になる。

あなたのブログ・ホームページが地雷原に

「それが嫌いな人」はちょっとブログの記事を開くだけでも怯える。嫌いなアレに遭遇するかもしれないから。

初めて開いたブログの記事で嫌いなフリー素材と遭遇したら、それだけで読者登録を躊躇う。「ここはフリー素材を使わないようだ」と安心して通っていたブログの記事でフリー素材と遭遇したら「あぁここも地雷原になってしまったか…」と読者登録解除を検討する。

フリー素材には、こういう客を切り捨ててまで利用するほどの価値はあるのかな。あるならどんどん使っていけばいいんだろうけど。そこまでの価値がないなら、フリー素材を使うのなんてやめちゃえばいいんじゃないかな。