悟りプレイ

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捨てる、辞める、省くブログ

頑張りたい欲求との付き合い方

頑張りたい欲求とは

人間には「頑張りたい欲求」がある。食欲睡眠欲性欲と同じアレ。これは言葉通り何かに熱心に取り組みたいという欲求で、満たされると幸せを感じられる一方で、満たされないと不安が募って気が病む。何もしないでいると「俺このままでいいのか…?」と余計なことを考えちゃったりするでしょ。

なぜ「頑張りたい欲求」なんてものがあるのか

栄養を得るための食欲、回復するための睡眠欲、子孫を残すための性欲と同じように、状況を改善して生きやすくするために頑張りたい欲求がある。

基本的に状況は頑張らないとどんどん悪化していく。たとえば食べ物は食べ続けたらなくなり、新しく獲得しなきゃいけなくなる。だから頑張って新しい食べ物を獲得しなきゃ、という欲が必要だったんじゃないかな。

「努力の方向音痴」な人が割とたくさんいる

不安な個人、立ちすくむ国家~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という経済産業省の資料が最近話題になっていて、その中で

かつて 、人には目指すべきモデルがあり、自然と人生設計ができていた。
今は、何をやったら「合格」「100点」か分からない中で、人生100年、自分の生き方を自分で決断しなければならない。

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こういった部分がある。「目指すべきモデル」があったから頑張れていた「自分で目標を立てられない人」が「目指すべきモデル」がなくなったことで困っている、と。こういう資料に登場するということは、割とたくさんいるってことなんだろう。

「自分で食事ができない人」みたいに「自分で目標を立てられない人」もいるわけだ。「食事を手助けしてくれる人」がいないと「自分で食事ができない人」が餓死してしまうのと同様に、「自分で目標を立てられない人」も「目指すべきモデルを与えてくれる社会」がないと頑張りたい欲求を満たせずに気が病んでしまう。

頑張りたい欲求を発散する方法

社会が「幸せは人それぞれだよね。自分で目標を立てて頑張ってね」と目標を与えてくれなくなった以上、目標を与えてくれる人を探し出すか、自分で目標を立てるしかない。

そこで活躍するのがゲームだ。特に長時間プレイできる奥の深いゲームが適している。ゲームに熱中すればいいんだよ。

ゲームに熱中したところで状況は改善しないんだけど、気が病むよりはマシだと考える。食欲は本来栄養を得るための欲求だけど、まともな栄養のない菓子でも誤魔化せる。それと同様に状況を改善するための「頑張りたい欲求」も、状況を改善しない頑張りでも誤魔化せる。この仕組みを使って、他に頑張れるものが見つかるまでの一時しのぎとしてゲームを利用する。

「努力は状況を改善できる、実益のあるものに対して行わなければならない」という制限を掛けてしまうと、頑張れる対象が見つかりにくくなり、頑張りたい欲求を発散できなくなってしまう。そりゃ毎回栄養満点の食事で食欲を発散できればいいけど、そうもいかない。ときには誤魔化しも必要になってくる。

ゲームは無難な落としどころ

欲求は発散しないといずれ爆発する。飢え死にしそうな状況では、虫でも草でも割と何でも口に入れられる。普段ならまず食べないのに、食べちゃう。

これは爆発した時点で目に付いたもので欲求を無理矢理発散しようとしてしまうから。同様に頑張りたい欲が爆発したときにも、運悪く変なものが目の前にあるとその変なものを頑張ってしまう。それが犯罪だったりすると色々終わっちゃう。

ゲームならゲーム屋で、それどころか昨今ではインターネットで家にいながら簡単に入手できる上に、どんどん課題を与えてくれて頑張れる設計になっている。だから普段から頑張りたい欲求の発散に使えるし、もし爆発しても対象がゲームなら事件にならない。そういう意味で、頑張りたい欲求を発散する道具として、ゲームは無難な落としどころだと思う。

人間は元々頑張りたい生き物で、頑張れるものがないと気が病んでしまう。だからそういう場合に備えて「頑張りたい欲求をゲームか何かで誤魔化す」という選択肢を持っておくと、変に不安になったり道を踏み外して事件を起こしたりするのを防げるんじゃないかな。

理想と現実との付き合い方

理想は目指すもの、現実は向き合うもの

「飯屋に行ったところ、売り切れのため食べたいものが食べられなかった」

理想は「食べたいものを食べる」で現実は「食べたいものを食べられない」。理想が叶わなかった。こういうときに「アレ食べたかったんだけどなぁ…」と反応するのは、損にしかならないからやめた方がいい。

店員に「アレ食べたかったんだけどなぁ…」と言っても、売り切れだからどうしようもない。店員だって売れるものがあるなら売って儲けたいわ。

このときのやるべきは「他の飯屋に行く」「他のメニューから選ぶ」などの「次の行動に移ること」。理想が叶わないと判明した時点で、現実と向き合って次の行動に移ることが、幸せを感じる有効な手段。

その飯屋でアレを食べることは叶わないから、さっさと思考を「じゃあどうするか」に切り替える。その飯屋で駄々をこねてもアレは食べられないけど、他の店に行けば食べられるかもしれない。それにアレを食べるのは「腹を満たすため」や「美味しい思いをするため」の手段でしかないから、それなら「じゃあ他でもいいや」とも考えられる。

「飯屋に行く」という行動を取るまでは、まだ食べられる可能性があり、食べられれば幸せを感じられる。だから「アレを食べたい」と理想を掲げるのは悪いことじゃない。けど理想が叶わないと判明してからも「アレ食べたかったんだけどなぁ…」と理想にしがみついているのは悪手でしかない。

理想は行動を起こすために掲げる必要があるけど、叶うとは限らない。そして叶わないと判明したら、さっさと諦めて現実と向き合う。これが理想と現実との上手い付き合い方なんじゃないかな。

ミスをやらかしても、そんなに落ち込まなくてもいいよ

理想と現実は違う

ミスをやらかすと、ミスによってモノが壊れたり怪我をしたり評価が下がったりと様々な損害が発生する。それでミスをやらかさなければ被らずに済んだ損害なのに…と落ち込んでしまう。

けどさ、たとえば「1日で成果を10出せたから、10日やれば成果を100出せるよね」は計算上は正しい。けど現実でそうなることは滅多にない。故障や急用、その他様々なトラブルがあり得るから、毎日10の成果を出し続けられるとは限らない。

これはミスについても同じで、「ミスがなかった場合のモノの個数」「ミスがなかった場合の体の状態」「ミスがなかった場合の評価」はものすごい幸運に恵まれた場合の理想でしかなくて、現実的じゃない。何のトラブルもなく毎日10ずつ10日で100の成果を出すような理想でしかないんだよ。無理無理。

だから「ミスによる損害」なんて、理想が崩れて現実になっただけのことで、そこまで落ち込むようなことじゃないと思うよ。それが普通なんだから。理想を当然のものと勘違いしてしまうと辛くなるよ。

病気も怪我も、まぁそういうこともあるよね

事故で片足を失ったり病気で耳が聞こえなくなるなど、体が元に戻らない壊れ方をすることがある。生まれつき壊れていることもある。

それぞれの確率はそんなに高くないだろうけど、色々な壊れ方があるから、一生を通して五体満足ピンピンしたまま老衰で死ねる人の方がむしろ珍しい。「五体満足ピンピンしたまま老衰で死ぬ」は理想ってワケ。現実では、大体いずれかのタイミングで元に戻らない壊れ方をする。

だからもし自分がそういう壊れ方をしちゃっても、やっぱりそんなに落ち込まなくていいんじゃないかな。片足を失っても耳が聞こえなくなっても、それなりに生きていけるし、よく見てみると周りのみんなも何かしら元に戻らない壊れ方をしているよ。

ミスも事故も病気も怪我も、まぁ色々あるよ人間の人生だもん。やらかしちゃってもあまり重く受け止めなくてもさ、「まぁそういうこともあるよね」で軽く流していいと思うよ。

買い物の失敗を減らすために、買い物の経験を積む

上手くなりたければ、練習すればいい

趣味も家事も仕事も、全部繰り返すことで上達していく。買い物も同じで、回数を重ねることで上達して失敗が減る。

料理で「焼きすぎる」失敗をしたら「では焼く時間を短くすればいいのか」「火を弱くしたらどうか」と色々考えて、次回焼く時間を短くしてみて、いい具合に焼けて「あぁこれでいいんだな」となる。もう焼きすぎる失敗はやらかさない。

これと同じ事を買い物でやる。「着もしない服を買ってしまった」失敗をして「なぜ買ってしまったのか」「そもそもあのときなぜ服屋に入ったのか」と考える。これでもう「着もしない服を買う失敗」はやらかさない。

まずは気軽に買って、気軽に捨てる

最初は失敗するのが当然だから、失敗があり得るものとして買い物と付き合った方がいい。いくら頑張っても失敗するのが上達前の時期だから。

この時期は「失敗しても気軽に捨てられるもの」で買い物の経験を積む。料理でも高級食材は上達してから扱うもので、最初はスーパーの安物で経験を積む。それと同じ。

この時期に大切なのは「気軽に捨てる」ということ。失敗を悟った時点でさっさと捨てて、経験を活かして次を買う。

失敗したものなんて抱えていても仕方ないし、いつまでも抱えていたら家が狭くなって次の買い物に手を出せない。それに使いづらい道具とか気に入らない服とか、そんなの使い続けても気が滅入るしね。失敗したら家のどこかに押し込むのではなく、ゴミ箱に放り込む。これが買い物上手の第一歩。

収入・貯蓄は買い物の経験を積むためにある

あなたがよほど自制心がなくて借金まみれというのでなければ、そこそこの収入があって、口座にもそこそこの蓄えがあると思う。それなら多少買い物で失敗しても致命傷には致命傷にはならない。

「買い物で失敗したらその分お金を無駄にしてしまうから、絶対失敗したくない」ってそりゃそうだけど、今のあなたは残念ながら買い物の能力が低い。だから失敗は避けられない。どうしてもそこそこの確率で失敗しちゃう。

幸いあなたの収入・貯蓄はそれなりにあるから、それを使って勉強しようって話。あなたに元から高い買い物能力があれば不要な出費だけど、ないからお金を払って鍛えましょうって。

どうせ死ぬ頃には子供に相続させようかなーってなるくらい余るよね。子供もあなたと同じように余らせると思う。みんなギリギリしか持っていないわけじゃないんだよ。だから少しくらいあなたの「買い物の失敗が少ない人生」のために使ってもいいと思うよ。

フリー素材が客離れを起こす仕組み

フリー素材が苦手な人は本当に苦手

フリー素材は緩い利用条件を満たすだけで、技術や道具がなくても手軽に利用できてしまう。そのため利用者がとても多い。あるブログと別のブログ、更にあっちのニュースサイト、果ては町内のポスターにまで同じ画風のイラストが使用されているのに気づいたことはないかな。そのくらい広く浸透している。

そうすると、「それが嫌いな人」にとっては災難だ。どこに行っても嫌いなものが目に入る。よく読んでいるブログの記事で、気になって開いたニュース記事で、会社の掲示板で、あの画風のイラストが目に入る。「嫌なら見るな」も通じない。

このため最初は「あーあれちょっとイヤなんだよね~」でも近いうちに「どこにでも湧いてホント無理…」という深刻な苦手になる。

あなたのブログ・ホームページが地雷原に

「それが嫌いな人」はちょっとブログの記事を開くだけでも怯える。嫌いなアレに遭遇するかもしれないから。

初めて開いたブログの記事で嫌いなフリー素材と遭遇したら、それだけで読者登録を躊躇う。「ここはフリー素材を使わないようだ」と安心して通っていたブログの記事でフリー素材と遭遇したら「あぁここも地雷原になってしまったか…」と読者登録解除を検討する。

フリー素材には、こういう客を切り捨ててまで利用するほどの価値はあるのかな。あるならどんどん使っていけばいいんだろうけど。そこまでの価値がないなら、フリー素材を使うのなんてやめちゃえばいいんじゃないかな。

自信を付ける方法

自信とは「自分の感覚は正しい」という思い込み

「自信を付けたい」のその自信ってそもそも何さ、と考えてみると「「自分の感覚は正しい」という思い込み」だと思う。

どちらが正解かわからないけど、AとBから選ぶ。こういうとき、自信のある人は「正解はわからんけどBな気がする」で、自信のない人は「え…わからないよ…A…かな…でもBかもしれないし…」となる。

この状況、自信のある人もない人も正解を知らないから、正解率はどちらも50%。だけど自信のある人は「なんとなく自分が正解を選べている気がする」と思っている。ここがポイント。

そりゃもちろん自分の詳しい分野についてなら大抵のことは即答できるんだけど、それは限られた分野の話で、「自分に自信はあるか」の評価にはあまり影響しない。

知らない分野では結局「「自分の感覚は正しい」という思い込み」がものを言う。そして人生の中で遭遇する問題は、詳しい分野より知らない分野の方が圧倒的に多い。だから「自分に自信はあるか」という評価はほとんど「「自分の感覚は正しい」という思い込み」だけで決定する。

つまり「自分の感覚は正しい」と思い込めれば自信が付く。

どうしたら「自分の感覚は正しい」と思い込めるのか

「自分の感覚は正しい」と思い込むには、自分で選んで成功体験を積み重ねるのが有効。「メニューから自分で選んで食べたら美味しかった」みたいな成功体験の積み重ねて「これまで自分で選んだ選択肢で成功してきた。だから今回も自分の感覚で選べば高確率で成功するはずだ」と考えられるようになったのが「自分に自信がある」状態。

普通の店は基本的に売れる良質な商品を店に並べる。だから適当に選んだって無難に成功判定が出ることの方が多い。それにプラス思考で捉えられれば何でも成功になるんだから、こんなの始める前から勝ち戦だよ。「Aは甘くて美味しい、Bは今まで味わったことのない味」でBを選んだら、「甘い方を選べなかったから失敗」ではなく「新しい味に出会えたから成功!」と考えちゃえばいい。

ポイントは「自分で選ぶ」

「選んでもらう」「余ったものにする」などの自分で選ばない方法では、それが正解だったとしても自信に繋がらない。「選んでくれた人の感覚が正しかっただけ」だから。

だから積極的に自分で選んで、それに自分で成功判定を付けていく。このサイクルをぐるぐる回すだけでどんどん自信が付いていく。

他人による成功判定

「あなたの選んでくれたメニュー美味しかったよ」こういう他人による成功判定も自信に繋がる。ただ、他人の感覚を理解するのは難しいし、評価してくれるかどうかも不明。だからあまり頼りにできない。

自分のことを一番見ているのは自分だから、基本は自分による成功判定で、おまけで他人による成功判定も利用するくらいにしておくのがいいと思う。

また、感覚を理解できる相手や評価の緩い相手と付き合うようにすると、成功判定を稼ぎやすく自信を付けやすい。性格ひん曲がった奴からは逃げた方がいいよ。付き合い続けても自信を奪われて精神病に追い込まれるだけだよ。

この成功判定ゲームは公平平等なじゃんけんなんかと違い、イカサマが許されている上にそのイカサマが有効に作用するゲームだから、積極的にイカサマしてどんどん自信を付けていけばいいよ。

ネットゲーム依存症からゆるやかに抜け出す方法

次の暇つぶしをネットゲーム以外から選ぶ

ネットゲームはその性質上、サービスが終了するとプレイできなくなり、強制的に引退に追い込まれる。また現在プレイ中のタイトルに飽きても引退。だから「現在プレイ中のタイトル」に依存している期間はそんなに長くない。長くて十数年。そこまで長引くことはまれで、ほとんどは数年じゃないかな。

ネットゲームA依存症は数年で抜け出せるけど、次の暇つぶしをまたネットゲームから選ぶとマズい。ネットゲームAを5年、その後ネットゲームBを5年続けたら、それぞれのタイトルは5年しか続けていないのに「ネットゲーム」は10年続けているわけで、5年ならまだしも10年では致命傷になってしまう。これがネットゲーム依存症の危険なところ。

10年
ネットゲームA  
  ネットゲームB

だから5年でネットゲームAを引退した時点で次の暇つぶしを「ネットゲーム以外」から選び「ネットゲーム」から抜け出す。これなら被害は5年で済む。

いやぁほら、今すぐ「もうネットゲームはいいや」で辞められればいいんだけどさ。もったいなくて辞められないよね。今まで積み重ねてきた色々が無価値になるわけだし。だから現在プレイ中のタイトルは引退まで続ける。で、それで「ネットゲーム」から抜け出す。

ネットゲームは掛け持ち禁止

同じ理屈でネットゲームの掛け持ちもダメ。掛け持ちするとネットゲームAを引退しても「ネットゲームBで暇を潰せばいいや」となり、他の選択肢が全く浮上しない。しかもネットゲームBを続けている間にネットゲームCまで始めちゃって、ネットゲーム依存症が長引いてしまう。

ネットゲームA      
    ネットゲームB  
        ネットゲームC

だからネットゲームをやるなら掛け持ちせず、1つのタイトルだけを引退するまでやって、ネットゲームはそれで終わり。

他の暇つぶしが引退のきっかけになるかも

「このネットゲームを引退したら、次は何をしよう?」と考えると、まぁ何らかの候補が出てくると思う。

ネットゲームプレイ中の現在からでも、そっちに手を出すことは可能だ。やろうと思えばネットゲーム2つを掛け持ちできるんだから、ネットゲーム1つと他の暇つぶしの掛け持ちも可能だよ。

そして他の暇つぶしの方が楽しいとわかれば「じゃあもうネットゲームはいいや」となり、引退時期が早まる可能性がある。ネットゲームは暇を潰したり楽しんだりするためのもので、それができるなら別にネットゲームでなくてもいいんだよね。ネットゲームより性能のいい暇つぶしが見つかったら、ネットゲームはお役御免だよ。