悟りプレイ

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

悟りプレイ

捨てる、辞める、省くブログ

Q.馬鹿に馬鹿と言って何が悪い A.効率

一目瞭然な事実をわざわざ言わなくても…

「砂糖は甘い」とか「This is a pen.」とか、今更誰も言わないんだよね。当たり前すぎて言う必要がないわけ。砂糖が辛かったら怖いし、目の前にあるペンがペンであることをわざわざ言われても「だからどうした」でしかない。

言葉は相手に情報を伝えるための手段だ。相手が既にその情報を持っているなら、わざわざ利用する必要はない。だから馬鹿にただ馬鹿と言うだけでは効率が悪い。「馬鹿と言う奴が馬鹿」ってそういうこと。言わなくていいことをわざわざ言う非効率的な馬鹿。

一目瞭然でない事実を指摘するから意味がある

詐欺師に騙されそうになっている人に「こいつ詐欺師だぞ!気をつけろ!」と言うのは、馬鹿に馬鹿と言うのと違い意味がある。詐欺師が詐欺師だとわかりづらいから。馬鹿にしても、わかりづらい馬鹿を指摘する場合には意味がある。「あぁなるほど。言われてみれば確かにそうだな。気付かなかったよ…」となる。

言葉は情報を持っていない人に情報を渡す道具。それさえ分かっていれば「もうそんなの持ってるから…」な無駄がなくなり、馬鹿をアピールせずに済むんじゃないかな。

わざわざ自分から気分を害さなくても…

馬鹿のことが馬鹿だとわかるのは、その馬鹿をしっかり見ているからだ。でも馬鹿って見てても気分悪くなるだけじゃん。馬鹿だし。

馬鹿がいるからと言って、あなたがその馬鹿を認識する必要はない。そっちは無視して、好きなものを見ていればいい。好きなアイドルの写真とか、面白い雑誌とか、そういうのを見ていれば幸せなんだよ。

世の中というテーブルには、色々な料理が並んでいる。中には嫌いな料理もあるし、好きな料理もある。でも胃の大きさには限界がある。じゃあ何を食べるかって「好きな料理」なんだよ。わざわざ「嫌いな料理」を食べて「あー不味いなぁクソが!」とか言っても、それこそ馬鹿なわけ。

やめようよそんな馬鹿馬鹿しいこと。嫌いな料理をわざわざ食べなきゃいけない場面なんて、現代じゃそうそうないと思うよ。好きなものを食べなよ。

下を見て安心するのはやめようよ

馬鹿のことをわざわざ見る動機の1つに「自分より馬鹿な奴を見て安心するため」というのがある。その安心って錯覚なんだけどね。

馬鹿がテストで0点を取っても、あなたのテストの点数は50点から100点に上がるわけじゃないんだよね。あなたの頭は、馬鹿がいることに関係なく50点。勉強しなきゃその点数は上がらない。

馬鹿はそのうち警察沙汰でも起こして自滅して消えてくれると思うよ。そんなの気にせず勉強でもしていようよ。何なら昼寝でも。馬鹿を見ているよりは有益だろうし。

評価なんて気にしているから、あなたの評価は上がらないんだよ

評価をいくら確認しても評価は上がらない

10分に1回評価を確認する場合と、1週間後に1回確認するだけの場合とで、評価が変わるわけではない。同じ作品だから、確認回数に関係なく同じ評価に落ち着いているはず。つまり評価に影響しない無駄な作業に時間を割いているわけ。

何もその時間を全て次の作品製作にあてろなんて意識の高いことは言わないけど、クソの役にも立たない作業を繰り返して得られるのが疲労だけなら、寝たりゲームでもしていた方がマシだよ。疲れが取れたり楽しめるから。

これがもし「この時間帯に投稿するとこうなってこうなるのか」「こういう描き方だと評判が悪いのか」と分析して次に活かせるならいいんだよ。それは練習と同じで実力に繋がるから。けど「なんでこんなに評価されないんだよ…」って嘆いているだけじゃ、いつまで経っても状況は変わらないよ。

「評価が低い」の次に「じゃあどうするか」がほしい。

評価は自動で上がっていくから気にするな

多少の向上心を持って続けていれば、頭に致命的な障害でもなければ上達していく。その上達に伴い評価も上がっていく。

「評価が低い現状」は実力を付けることでしか改善できない。もう1つ「高評価を付けてほしいとお願いする」という方法もあるけど、あなたがほしいのはお願いで買ったお世辞じゃないでしょ。だから「評価が低いのが気に入らないから実力を付けよう」となる。

そうとわかれば後は簡単だ。実力を付ければいい。評価を気にしなくても、そのうち評価されるようになっていく。「評価が低い現状」なんて今のことでしかない、いずれ改善されるものなんだから、どーでもいいんだよ。

ジャンルとか関係ないよ

旬のジャンルを扱えば表面的な評価は上がる。逆に人気のないジャンルで活動してもそんなに評価は上がらない。それに実力の有無は関係ない。俺が評価されないのはジャンルが悪いんだ!ってね。

けど実力があればジャンルの規模に関係なく、そのジャンルの中で取り得る高評価が付く。実力がないとそのジャンルなりの低評価になる。ここに実力の差が出てくる。

だからジャンルが良いとか悪いとか言っても仕方ない。とりあえず作品作ろうよ。実力付けようよ。

作品作りに集中できる環境を作ってくれたGoogleは、やっぱりすごいサービスだと思う

作者に宣伝作業は重すぎる

作者がインターネット上に作品を投稿するのは「見てもらうため」だ。見てもらって、褒められたり、仕事に繋がったり、作品を買ってもらったり、広告収入を得たりする。とにもかくにも見てもらわなければ始まらない。

けど作品をインターネットで見られるように投稿したところで、それだけではほとんど見てもらえない。客がその作品を発見できないからだ。「このURLに素敵な絵がある」という事実を知らなければ、客はそのURLにアクセスできない。

このためGoogleが登場してここまで高精度化するまでは、作者は各自で自身の作品を宣伝しなければならなかった。ある人はホームページをディレクトリ型検索エンジンに登録し、またある人は他のホームページ管理者にリンクを張ってもらうようお願いして回ったり、ブログのコメント欄に宣伝も兼ねた挨拶回りをしていた。

しかしこういう集客作業をしているとき、作者は作品を作る作業ができていない。練習さえもできなかった。いくら挨拶回りをしたところで絵は上手くならないのだ。非常に不毛で「俺…宣伝ばかりで絵描いてないじゃん…」と疲れ果ててしまっていた。

Googleが作ってくれた「作品作りに集中できる環境」

一方でGoogleは検索客を満足させたい一心で検索結果の高精度化を進めていった。自動で世界中の投稿された作品を収集し、検索客が求めているものを上位に表示できるよう作品評価処理を改良して、今ではひらがなで検索するだけで適切な漢字・カタカナに変換して満足できる検索結果を返してくれるまでになっている。今では何でもかんでも「とりあえずググる」だ。

その結果、作者は質の高い作品を投稿するだけで自動的に集客できるようになった。質が高ければGoogleが検索結果上位に表示してくれて、そこから客が流れ込んでくる。

検索結果から流れてくる客は「その作者の作品を求めている客」だ。知りたい・見たいと思って検索ワードを書いて検索結果ページを開いた客だから、間違いなくその作者の作品を求めている。だからその辺の広告スペースに広告を出すより遙かにクリック率が高い。

つまり作者は集客作業から解放されたわけだ。ひたすら質の高い作品を追求していれば、あとはGoogleが自動で「その作者の作品を求めている客」を運んできてくれる。もう挨拶回りなんてしなくていい。私が集客を考えずに記事を書いても、それを求めている人にしっかり紹介してくれる。すごく助かっている。本当にありがとうGoogle。

作者が勝手に検索結果の質を高めてくれる

Googleは自動で作品を評価しているから、その作品評価処理だって完全ではないと思う。際どい質の判断はまだ失敗することもあるだろうよ。

そこを今度は作者が補完する。作品作りに集中することで、作者はものすごく質の高い作品を投稿できるようになる。100と101の比較は間違えるGoogleも、100と200ではほぼ間違いなく200の方が質が高いと判断できる。こうして作者は検索結果の質を高めるのに貢献している。

そういう何というかな、Googleへの恩返しみたいなものが、誰も意識しないうちに行われているんじゃないかってまぁ妄想だけど。

Googleの様々な作者サポート

Googleは「集客作業からの解放」の他にも様々な作者サポートを提供している。以前であれば図書館や書店、現地に行って探さなければならなかった資料を、今では椅子に座ったまま閲覧できる。

外国語の資料も翻訳を通して理解できちゃうし、部屋や机に散らばっていた資料は全部パソコン1台にまとまっって作業スペースが広くなった。製作道具の不調までGoogleで直し方を検索している。

私たち作者はGoogleから多大なサポートを受けて、10年20年前より遙かに楽に作品作りに集中できるようになっている。普段意識することもないけど、これってとても有り難いことだと思うよ。

「活動記録・日記的な書き込みをやめる」というストーカー対策

ストーカーの手口の一例を紹介します

まずTwitterとかFacebookとか、そういうのであなたのアカウントを発見します。あなたがバカなら特に対策もしていないだろうから、まぁ名前とか住所とか適当に検索すれば見つかるでしょ。

次に過去の書き込みを集計して活動時間をまとめます。書き込みのない時間帯は「書き込めない状況」、書き込みのある時間帯は「書き込める状況」にあるため、大雑把に睡眠時間や外出時間、自宅にいる時間などが割り出せます。

「~の店に行った」「今帰った」などの活動記録・日記的な書き込みを中心に精査して、先ほど割り出した活動時間の精度を上げます。ついでにこの精査で「あなたが取り得る行動」「あなたが行きそうな・行かなそうな場所」なども把握します。写真画像なども有力な手がかりです。

あなたのアカウントを読者登録している人達のアカウントに対して、同じ手順を繰り返します。交友関係を把握したり、読者の書き込みからもあなたについての情報を拾い集めます。

ここまで来れば、あなたの顔や住所を知らない人でも、うっかりあなたの家にこんにちはできてしまうくらいの情報が入手できちゃうかもしれません。

まぁ適当に考えただけだから、実際のストーカーがどういう調べ方をするのか知らないけど、何かできちゃいそうな気がする。手口が病的だこんなことするはずがないって、そもそもストーカーは頭の病気だからね。「あなたのことを調べるためにこんなことまでやっちゃう人」がストーカー。

ストーカー対策 : 書き込むな

要するに書き込みは全てストーカーにとっての手がかりになり得る。だからストーカーに手がかりを与えないために、書き込まないのが一番の対策。ついでに(情報管理できない頭の緩い)友達関係も切り捨てた方がいい。

極端な話、あなたが生まれてから一度も外出や書き込みをしていなければ、ストーカーはあなたの存在を知ることができず、あなたをストーカーしようと考えるのは不可能なワケ。

次善策 : 活動記録・日記的な書き込みをやめる

書き込むにしても、ストーカーに手がかりを与えるような書き込みは避けるべき。

行動の直前・直後の書き込みを控える

「寝る直前まで書き込む」だと「書き込みが途絶えた時間 = 寝た時間」とわかってしまう。だから実際に寝る数分~数時間前には書き込みをやめるわけだ。すると「実際の寝る時間」と「書き込みから推測した寝る時間」がズレて使いづらくなる。

とは言っても「書き込みがない時間帯」の一部は「実際に書き込めない状況」で、「書き込みのある時間帯」の前後数分~数時間は「実際に書き込める状況」だから、全く手がかりにならないわけではない。

活動記録・日記的な書き込みをやめる

「~に行った」ということは、あなたが「そのときそこに行ける人」だとわかる。「そこに行ける時間的・金銭的余裕のある人」「そこに店があることを知っている人」「その日イベントが行われることを知っている人」などと色々な情報が読み取れる。1つの書き込みだけなら大した情報量でなくても、他にも書き込みはたくさんあるだろうから、組み合わせればもっと色々わかるんじゃないかな。

そういう活動記録・日記的な書き込みは危険だと認識して、やめればいい。ストーカーにとって使える手がかりが激減して、あなたを調べにくくなる。

「会う必要がある魅力」を伝えない

「胸が大きい」「大金持ち」など、ストーカーが「会う必要がある」と思うような魅力を伝えちゃダメ。胸を触ったり金を奪ったりするには、あなたに会わなきゃいけない。

会う必要がある魅力を伝えちゃうから、ストーカーはわざわざ来ちゃうんだよ。

ではどういう書き込みならいいのか

比較的マシなのが思考記録的な書き込み。当ブログの記事みたいな「感じ方・考え方」の書き込みなら、活動記録と比べて手がかりとして使いづらい。どこに行ったわけでも何を買ったわけでもなく、座ってぼーっとしているだけだから。

「知人が読むための書き込み」ではないから、読者は「全国・全世界の人々」であり、交友関係も探りづらい。返信・コメントする相手も「お互いに相手がどこの誰か知らず、何についてどう考えるかしか興味のない人」だから、趣味くらいしかわからない。

その上考え方だけなら書き込みを読むだけで足りる。会う・行く必要がないし、会って幸せになれる美男美女かもわからない。これでまだ私の名前や住所を読み取って会いにきたのなら、そりゃもう諦めるレベルかなって。

自己承認欲求との付き合い方

「書き込むのは、書き込みに共感してもらったり多数の人に読んでもらうことによって「自分が認められた」と感じたいため」とか何とか。そんな話を聞いたことがあるし、そんな気もする。

であれば知人に認めてもらう必要はない。「どこかの誰か」に認めてもらうだけで満たされる。わざわざストーカーを寄せ付ける活動記録・日記的な書き込みをしなくても、思考記録的な書き込みで足りる。なぁに、胸や財産を褒めてもらわなくてもいいのさ。考え方に共感してくれる人が現れればそれで。

まとめ

どうせ書き込むなら、危険な活動記録・日記的な書き込みより、思考記録的な書き込みの方がいいんじゃないか。まぁ書き込まないのが一番だけど。

ってことで、あなたも思考記録的なブログをやろうぜ!(?)

宝くじで高額当選しても破滅しないためのお金の考え方

生涯収入で割ってみる

私たちは一生のうちにいくらお金を得られるのだろう。今30歳で、定年退職(65歳)までの平均年収が500万円としよう。これから定年までで35年 × 500万円 = 1億7500万円稼げることになる。その後年金生活に移行するとして、100歳で死ぬまで年収250万円になるとしよう。8750万円。生涯収入は2億6250万円。

そこで1億円当たると3億6250万円になる。「高額当選したら仕事を辞める」などの選択肢もあるけど、仕事をそのまま続けるとしてさ。生涯収入が1.4倍程度になるわけだ。あれ、思ったより影響小さいな…?

今までの1日あたりの生活費を1.4倍してみよう。今までよりちょっといいものを食べて、ちょっといい服を着て、程度のことしかできないと思う。嘘だろお前だって1億円だぞ…そんなに影響が小さいわけが…。でも生涯収入で考えるとそんなもん。

平均年収が500万円未満の人ならもっと影響が大きいけど、2倍や2.5倍になってみたところで、やっぱりそんなもん。「~億円」と聞くとすごそうだけど、そんなもん。

このように生涯収入で考えるようにすると、大金と言っても実はそんなにすごくないということに気付けて、落ち着いて大金を扱えるようになる。

貧乏人は高級品に手を出すべきではない

宝くじの高額当選程度で大騒ぎできるのは貧乏人だ。その程度の貧乏人は宝くじで高額当選したからと言って高級品に手を出すべきではない。

高級品は大金持ちが買うものであって、私たち貧乏人が背伸びして買うものではない。私たちがスーパーで安物を買うのと同じ感覚で買える財産があって、初めて手を出す資格を得る。「宝くじが当たったから買っちゃうぞ~」とか言ってる雑魚に扱える代物ではない。

というのも、人間は飽きる生き物だから。いくら高級品でも飽きる。飽きたら次がほしくなるけど、数億円程度の財産で飽きる度に高級品を買っていたらすぐに使い切ってしまう。使い切っても人生は続くから、その後満足できない人生を送るか、満足しようとして破滅の道を突き進む。これが高額当選者が破滅する簡単な仕組み。

大金持ちなら飽きる度に高級品を買い換えてもいいんだよ。余るほどお金があるから。けど私たちは突然手に入った数億円で大騒ぎする貧乏人。だから生涯収入が1.4倍とか、そういう考え方で自衛する必要がある。

私たち貧乏人は、今までよりちょっといいものを食べてちょっといい服を着て、それで幸せを感じるくらいに収まっておくのが身の丈に合っていていいと思うよ。

高額当選したから捨てる

「もったいないしまた使うかもしれないから」と抱えていた色々を、高額当選によって「必要になったら買えばいい」と考えて捨てる。これなら変に高級品に手を出すわけではないから、破滅に向かうことはないと思う。

もう使っていない高額な道具

数万円もすると「壊れていないなら、また使うかもしれないから捨てたくない」と考えてしまいがち。けど数億円あれば「低確率で発生する数万円程度の買い物」は痛くもかゆくもない。だからどんどん捨てて、必要になったら買い直せばいい。

保証書や外箱など

「もし故障したら返品・交換してもらうため」として残している保証書や外箱は全部捨てていい。もう1個新しく買えばいいだけだから。これで倉庫や押し入れがすっきりする。

そのうち売ろうと考えて抱えているもの

売っていくらかのお金に変換するまでもなく、生涯困らないお金をもらったんだから、そんなもん「売る」なんて面倒なことをせずに捨てちゃってもいいんじゃないかな。

まとめ

せっかく高額当選しても破滅するのでは悲しすぎる。だから当選前にまず「大金の扱い方」を知っておいて、いざ当たったときにパニックに陥らないように備えておこうってことでこの記事を書いたんだけど、そもそも当たらないんだよなぁ…。

どう考えても損な宝くじを、それでも買う理由

「生活に全く影響しない金額」で可能性を買う

年収500万円の人が毎年1回宝くじを3000円分買うとする。基本的に外れるから、実質年収499万7000円。ときどきある少額当選はどうでもいいから無視するね。

年収500万円と499万7000円。比べたらそりゃ500万円の方がいいけど、499万7000円でも生活の質は全く変わらないと思う。つまりこの人のこの買い方は生活に全く影響しない。

それでいて万一…万一なんて高確率ではないだろうけど、仮に1億円が当たったら生活は激変する。たとえば単純計算で20年くらい早く仕事を辞めても生活の質を維持できる。この「大金が当たる可能性」は宝くじを買わないと0だけど、買えばほんの少しだけ生まれる。

「大金持ちになって状況が一変する可能性」があれば、それを希望にして考え直したり生き延びたりできる。けど可能性が全くないと、今の悪い状況が改善される見込みがないから悪い方にしか考えられない。絶望して自殺、なんて選択肢もちらつく。宝くじはこういう精神安定剤みたいな使い方ができる。

なぜ宝くじなのか

大金を手にするだけなら競馬でも株でもいいわけじゃん。その中でも宝くじを買うのは「実力不要で生活に影響せず、すごい額の高額当選があり得るから」。

全く実力が影響せず、生活に影響しない

競馬や株だと知識を使って選ぶ必要がある。馬のデータを調べたり世界の動向を気にしたり、それで生活の質が落ちては困る。

宝くじなら1年に1回売り場に行っていつもと同じ枚数を買って、当選発表の時期になったら確認する。それだけ。少額当選で受け取りに行くのが面倒だったら行かなくてもいいんじゃないかな。

このようにほとんど「そのための作業」が必要ないのが宝くじのいいところ。

すごい額の高額当選があり得る

100万円当選したところで何ら生活は変わらない。ちょっといい家電製品を買ったり旅行したら使い終わっちゃう。これでは当たっても「ちょっと嬉しい」にしかならない。

けどこれが1億円とか、そういう高額当選だと生活が激変する。だから「そこそこの確率で最高当選金額100万円」ではなく「低確率で高額当選のあり得る宝くじ」。

まとめ

まぁ当たらないよね。うん。分かってる。でも生活に影響しないなら「損だから買うべきではない!」と一刀両断しなくてもいいと思う。これが毎月収入の半分以上を溶かすというなら私も「ちょっと待てよ」ってなるけどさ。

絶望したときに備える掛け捨て保険みたいなもの。そういう見方をすると、どう考えても損な宝くじも、そんなに悪くないものに見えてくるかもよ。損だけど。

「損か得か」ではなく「生活に大きな影響があるか」で考えると心穏やかでいられる

「損か得か」は疲れる

日々生活していく中で、大小様々な損得が発生する。1000円分の買い物でポイントカードを使えば10円分のポイントがもらえて得とか、冒頭のように値上がりして5円損とか、明日から1週間全品半額とか。

あまりに損得のイベントが多発するため、それにいちいち感動していると疲れてしまう。割引情報をチェックしたり、日々の値動きを気にしたり、ポイントカードを管理したり…。

で、細々とした作業を色々やって、いくら儲かるのか。実際に計算してみると馬鹿馬鹿しくなるくらい少ないと思う。そう。クーポンを使っても、広告を熱心にチェックしても、店を渡り歩いても、それほど大きな効果はない。仮にそれらのお得な行動を全くやらなかったとしても、生活への影響はほとんどない。その生活にほとんど影響しないような事柄に、疲れるほど労力を費やしているわけだ。

「生活に大きな影響があるか」で心穏やかに暮らす

「損か得か」だと損得が多すぎて疲れてしまう。だから判断基準を「生活に大きな影響があるか」に切り替える。

1回買うだけのものが100円でも105円でも大差じゃないから、気にせず気持ちよく買う。過去に100円だったことなんて覚えている必要もない。100円でも105円でもいいのだから、毎日スーパーの広告を何枚もチェックする必要がなくなる。近くのスーパーで食べたいものをカゴに入れればいい。それで数万円の差にはならないから。

これで財布やスマホからクーポンやポイントカードは消え失せ、店を渡り歩かなくなり、買い物の時間が半減する。「お得だから」と必要でもないものを買いに行くこともなくなる。損得自体は多発しても、生活に大きく影響する損得は少ない。だから小さな損得を無視するようにすると、このように心穏やかに暮らせるようになる。

まとめ

普通に働いていれば、毎月そこそこまとまったお金が銀行口座に振り込まれる。そして大金が必要な趣味や依存症でもやっていなければ、そこそこの余りが発生する。

余りが発生しているのなら、細かい損得は気にしなきゃいけないような致命的なものじゃない。そんなの無視して自由時間を増やして、心穏やかに暮らしてもいいんじゃないかな。