悟りプレイ

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捨てる、辞める、省くブログ

教科書と娯楽作品を分けると読書が楽しくなる

本を「教科書」と「娯楽作品」に分類する

本には「教科書」と「娯楽作品」の2種類があって、読むのに覚悟が必要な重い本が「教科書」で小説や漫画が「娯楽作品」。娯楽作品を教科書に分類してしまっていたのが本が重くなる原因。

教科書

説明書、学校の教科書などの「必要な正しいこと」が書かれている本。習得しなきゃいけないから、読むのには覚悟がいる。「読んだけど身に付かなかった」では困る。

娯楽作品

小説や漫画などの楽しむことを目的に読む本。「読者を楽しませること」が書かれている。楽しければそれでいいから、必要性や正確性は重視していない。「読んだけど3日で忘れた」も全然オッケー。

ほぼ全部「娯楽作品」に分類する

本屋でなんとなく目に留まった技術書・自己啓発本などは教科書ではなく娯楽作品に分類する。読んで楽しめればそれでいい。楽しめなければ捨てていい。

そうすると今まで重かった本が一気に軽くなる。書かれているのは「必要な正しいこと」ではなく「必要性や正確性を重視していない、読者を楽しませること」。だから読み終えたときに身に付いている必要はなく、つまらなければ最後まで読む必要もない。隅々まで読む必要も正確に読み解く必要もないし、わからない言葉や漢字も前後の文脈から適当に解釈していい。楽しめればいいんだよ楽しめれば。

もう技術書と難しい顔で睨めっこする必要はない。漫画みたいにゲラゲラ笑いながら読んでいいんだよ。

ブログの記事は娯楽作品

私はブログの記事を娯楽作品として書いている。この記事も「読書を楽しくする正しい方法の記事」ではなく「読者を楽しませる記事」。他の記事も全部そう。だから「この記事面白い!」や「この記事つまらない…」という付き合い方を想定していて「この記事のこの部分がおかしい!」みたいな付き合い方は違うと思う。

ファンタジー小説の世界で魔法陣からモンスターを召喚する話があっても、庭に魔法陣を描いて「モンスターを召喚できない!あの小説はおかしい!」なんて言わないよね。ブログの記事も自己啓発本も、「魔法陣からモンスターを召喚する」と同程度なんだよ。だから記事の内容を実践する場合は別途教科書で学習するか、魔法陣並の期待でやるんだよ。

娯楽作品なら軽い気持ちでたくさん読める

覚悟を決めて頑張って読んでも、読む量は少ない。その1冊を完璧に理解しても100点しか稼げない。一方で娯楽作品なら気軽に読めるから読む量が違う。1冊50点でも2冊読めば100点。3冊目からはもう数の暴力で勝る。

漫画の好きな台詞って割と覚えているよね。つまり娯楽作品でもそれなりに頭に残る。そういう戦法。「1冊から正解を学ぶ」ではなく「複数冊から少しずつ学ぶ」。

頼り切らないから、問題になりにくい

1冊あたりの質はそれほど大事じゃないから、内容に誤りがあっても大問題にはならない。これが全部正しいことを前提にした教科書だと、少しおかしいだけで大問題になる。

宗教にはまっちゃった人は、変な本を教科書にしちゃったわけ。変な1冊を教科書にしてしまって、他の本を読まないからああなる。複数の本を娯楽作品として読んでいれば、その中に1冊変なのが混ざっても「まぁそういう考え方もあるよね」くらいで済む。

何というかね、他人に正解を求めすぎなんだよ。みんな悩みながら間違えながら生きているんだし、そもそも私たちは猿から毛が抜けた程度の生き物なんだから、そう簡単に正解を提供できるワケがないんだよ。

それならいっそのこと、正解なんて求めずに気軽に楽しんじゃえばいい。それが読書を楽しむ方法だと思うよ。