悟りプレイ

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悟りプレイ

捨てる、辞める、省くブログ

いじめる側も被害者なんだと思う

なぜいじめが必要になるのか

なぜ「いじめる側」はいじめてしまうのか。それは「みんなと仲良くしましょう」と言われているからだと思う。30人も人間が集まればどうしたって気に入らない、生理的に無理な奴(以下「キモい奴」)が紛れ込む。でも先生や親からは「みんなと仲良くしましょう」と言われる。

「仲良くしましょう」なんて言われたら意識しないわけにはいかない。でも意識すると「やっぱり無理!あいつキモい!クラスから排除したい!」となる。キモい奴をクラスから排除すれば「みんなと仲良くする」も達成できるしね。

多分こんな感じでいじめてしまうんだと思う。

いじめない技術

「キモい奴も意識しなきゃいけない環境」がいじめを発生させるなら、それを回避すればいじめずに済む。

「みんなと仲良くする」は無理だからあきらめる

全員と仲良くするのは不可能だ。そりゃあみんなが仲良くやってくれれば楽だから先生や親はそう願うけど現実的に不可能。仕方ない。

ということで、先生や親の不可能な願いは無視して「みんなと仲良くする」はさっさとあきらめよう。友達100人とかいらないよ。数人もいたら十分だし、いなくても困らないよ。

キモい奴を攻撃するのは時間の無駄

キモい奴を攻撃するには、キモい奴を意識しなきゃいけない。キモい奴を見て気分を悪くしながら攻撃して、…って時間の無駄じゃん。気の合う友達と話したり外の景色でも眺めている方が何倍も気持ちいい。

しかも攻撃そのものは悪いことだから隠す必要がある。隠すのは面倒だけどバレたら先生に叱られるから徹底的に隠さなきゃいけない。なぜキモい奴なんかのためにここまで頑張らなきゃいけないのさ。

キモい奴には事務的に接する

何もキモい奴を消すのに攻撃する必要はない。事務的に接するだけでいい。

「事務的に接する」とは、たとえばプリントを渡すときに「普通にプリントを渡すだけで世間話などはしない」というような付き合い方。「キモい奴にはプリントを渡さない」などという特別扱い(攻撃)はしない。「プリントを渡す」という最低限の接触はあるけど「クラスにいられなくなるほど激しく攻撃する」よりは接触が少ない。

あなた「はい、プリント。そういえばさぁ、明日のあれってどうなるんだろうね」
友達「あぁあれね。さっき~って先生が言ってたよ」

あなた「はい、プリント」
キモい奴「あ、はい」

これなら争いは生まれず、あなたはキモい奴を意識することなく過ごせて心穏やか。「プリントを渡す」という義務をちゃんと果たしており攻撃もしていないから、罪悪感を感じず気楽でいられる。いじめがないからキモい奴も先生も親もみんな心穏やか。これが世界平和ってもんだと思う。

まとめ

いじめたくなる状況に放り込んでおいて「いじめをなくそう」は酷な話だと思う。「いじめる」と「キモさを我慢する」しか選択肢がないんだから、そりゃ「いじめる」を選ぶさ。

いじめをなくしたいなら第3の選択肢「事務的に接する」があることをちゃんと教えようよ。