悟りプレイ

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悟りプレイ

捨てる、辞める、省くブログ

孤独死は不幸でかわいそうな死に方か?

「死ぬときは誰かに看取られたい」か?

あなたはそうかもしれない。けどそうでない人もいる。むしろ誰にも看取られずに死にたい人、「あのとき食べたアレ、美味しかったなぁ」「結局借金を返しきれなかったなぁ」など、孤独と全然関係ないことを考えながら死んだ人がいてもおかしくない。

「アパートの一室に転がっている、死後しばらく発見されなかった1体の死体」という状況からは「その人が生前に孤独を気にしていたか」はわからない。遺書に「誰にも看取られずに死ぬ、さびしい人生でした」とか書いてあれば話は別だけどさ。

孤独死特集では、ちゃんと「孤独を気にして死んだ人」を厳選しているのかな。「死後しばらく発見されなかった1体の死体」を、自分の主張を通すための資料として、勝手に「孤独を気にして死んだ人」にしていないかな。

「孤独死」は「かわいそう」か?

「幸せに暮らしている女性」が周りに「胸が小さくてかわいそう」と指摘されまくって「胸が小さいこと」を気にするようになったーそんな話を聞いたことがある。彼女を不幸にしたのは「胸が小さいこと」ではなく、それを指摘した周りの人々。周りの人々にとって「女性は胸の大小を気にしなければならない」だったことで起こった不幸。

孤独死も同じじゃないかな。気にしていない人に「孤独に死ぬのは不幸だ」という価値観を押しつけて、孤独死を不幸な死に方にしてしまう。そう思っていなければ孤独でも幸せに死ねたかもしれないのに。

「かわいそう」は相手の不幸のパターンを増やしてしまう、使ってはいけない言葉だと思う。「かわいそうな状態」ではなく「かわいそうと思われている状態」が人を不幸にする。

まとめ

私自身あまり「死ぬときは誰かに看取られたい」と思わないから「孤独死なんてかわいそう」という調子の孤独死特集には違和感がある。そりゃ「孤独死なんて嫌だ」な人にとって孤独死は「かわいそう」だろうけど、世の中色々な感性の人がいるわけで。

孤独死って、それを問題として取り上げて多くの人々の死に方を「不幸な死に方」にして、そこまでして解決しなきゃいけない問題かな。余計なお世話じゃないかな。